ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

「医と仁術」展

いつも日記を見ていただいてありがとうございます。
ひとつ前のプラトニックの感想にもたくさんの反響をいただきました。
たくさんのスター、拍手など、ひと手間かけて伝えてくださって、本当にありがたいことだと思ってます。
さらに、Yさん。レッスンのことについての拍手コメントありがとうございます。
わたしもふと、Yさんだったらこういう時どんな風に生徒さんに言われるのかしら?と思うことがあります。
ピアノの先生って一対一で、他の先生のレッスン風景を見ることって意外に少ないですし、たまに心細くなることもありますよね。

さて。
奈良旅行あたりから始まった怒涛の日々が、とりあえず一段落し…たと思われます。
『ほんとうだな!?』
と念を押されたら小声で「多分」って言うしかないけど(笑)

その前はわりと家にいることが多くて、誰とも会わず、淡々と日々を送っていたのに、突然続き始めると予定が予定を呼び…
述べ人数(ってところがすでにおかしいわけですが、笑)にするとかなりたくさんの方と集中的に会って、旧交を温めました。

奈良の続きも書きたいけど、ほかのこともね。忘れないうちに書いておきたいことがいっぱい。
というわけで、ちょこっとずつ整理していきます。

第一弾はこれです。



6月3日、上野の科学博物館で「医は仁術」展を見てきました。
日本の医学・医療は世界の最先端と言われていますが、その始まりは江戸時代にあったのだそうです。
「仁」という言葉は、儒教で重視された他を想う心のことなのだそうです。
古来より「和」を大切にしてきた日本で、「仁」はどんな身分の人であっても大事な心がけとされました。
わたしたちが医学とか医療とかを考えるとき、どうしても技術的なことばかりに目が行きますが、『出発は他を想う心から』ということは得てして忘れがちです。
そういう意味においても、この展覧会を見たことはとても意義深いことのように思いました。

そうそう。
最近いつも借りることにしている、音声ガイドがいつもよりちょっと高いなぁと思ったら、かなり進化した機械になってました。
番号の書いた紙をタッチすると音声が流れだすというシステムになっていてびっくり。若干興奮しました(笑)
しかもナビゲーターはTBSドラマ、「JIN-仁」で南方仁先生を演じられた大沢たかおさん。
ドラマのBGMが流れたり、江戸の街の映像もこれはドラマのままかも?という場面が使われたりもしてました。
大沢さん、すごくいい声で、聴いていて楽しかったです。

そもそも「医は仁術展」は「江戸の医から未来を眺める展覧会」と銘打って開かれています。
そしてわたしは「あっ!またキーワードとして『江戸』が出てきた!」と思いました。
なぜか最近のわたしは頻々と「江戸」に引き寄せられます。
目を開いてちゃんと見てなさい!大事なことだから…と言わんばかりに。
人口がそのまま増えなければ永遠にでも続けられる高度なリサイクル社会。戦国の世を終わらせ、長きに渡り続いた平和。
わたしは「戻ることが未来」について考える時、最近とっても江戸にヒントがあるんじゃないかと感じ始めています。
奈良が昔の東京なら、江戸はだいぶ先の奈良とも言えるわけで。
今の東京の少し前の姿…というにはあまりにも違う考え方や景色が広がっていたことに思いを馳せてみたりします。

江戸時代の日本では、元々中国から入り独自に進化した漢方と、西洋から入ってきたばかりの蘭方、そして古くからあった民間療法などが自然に混ざり合い存在していたのだそうです。
そしてこれらは「他を想う心」を重んじながら日本独自の形で発展してきたとのこと。
いろんな医術の専門家が一緒になって、日本の医学の発展という大きな目標のために共に研究に加わったという話は目からうろこでした。
なんとなく、古い時代であればこそ、西洋医学東洋医学はまったく相容れないもののように思いこんでました。
この展覧会を見ていると、むしろ今よりも自由な発想で、民間療法も含むさまざまな専門家が活発に意見交換し、その知恵を出し合っていたのではないかと思えました。
その発想の柔軟さに驚かされます。

たとえば病気を治すためにまずは知らないといけないのは、身体の仕組みだということで、まずは罪人の身体から始まった人体解剖。
漢方のお医者さんも、蘭方の研究者も協力して、一大プロジェクトとして、行われていたのだそうです。
もちろん写真、保冷技術などはない時代だから、数多くの人たちが短時間で一斉に作業をしたり、身体のあちらこちらの部位を絵に描いたりして、作業が進められていきます。

この解剖がどういうものだったかは、「絵」に描かれたものとして残っているのですが、それがいかに大変な作業で、作業している数多くの研究者がそれはそれは苦労して行っているか、研究者の表情や真剣さまでがとてもよく伝わりました。

そして、その苦労して行われた解剖を通して、今までは想像の世界だった身体の中のことが、どんどんわかってきて、それがその後の解体新書の翻訳、改訂、病気を治すための大きなヒントになっていくのです。

ちょっと怖い絵もあったけど、こうして医学の発展のために尽くした方々がいるおかげで今の日本があるのだなぁというのを実感できました。

さらに、それらの知識は研究者だけのものととどまらず、飛び出す絵本になったり、この画像のように浮世絵を使って、身体の中がどうなっているか教える資料になったり、薬屋さんに置かれた看板になったりして、庶民の目にも触れ、誰もが自分の身体のことを知る助けとなりました。

ちょっとわかりづらいですが、この画像を見てください。ちょっと光っちゃって見ずらいですが、よ〜く見ると身体の中の臓器の働きが、誰にでもわかるように擬人化され、紹介されています。
こういうのとか、人体模型とか、最初はちょっとあれ?と思うような稚拙なものから、だんだんにかなり詳細で精度の高いものになっていくのが伺われました。

展示中盤では、江戸時代のお薬の瓶や手術用の器具、当時のお医者さんの薬箱の中身や、診察券なども展示されていて、とても興味深く見ました。
ほとんど今と同じような形状のものがあったり、ああ、昔近所の医院にもあったかもというなつかしい薬箱があったり。

撮影は禁止じゃなかったのでちょっとだけ撮ってみましたが、ガラス越しなので上手に撮れません。

一応こんな感じだったよ!というのをご紹介してみると…


これは当時そのままのものです。
(ほんとはもっとおもしろいものがいっぱいあったのですが、なるべくグロテスクじゃないものをと思ったら、ちょっと中途半端な画像になってしまいました、笑)

そしてこの江戸の原点からタイムスリップして、現代の医学を見つめるというコーナーもあって、プロジェクションマッピングを使った身体の中のことがわかりやすくまとめられた最新の映像や、カテーテル手術の時に用いられる器具を実際に触ってみることができるコーナーなどもありました。

最後の方で「鉄拳さん」の壮大なパラパラ漫画のアニメーションコーナーがありました。
ここが実は一番見たいところのひとつだったのですが、想像を裏切られない、素晴らしいものでした。
日本の現代社会でも、変わらず「仁」の心が受け継がれ、息づいていることを実感させられる作りになっていて、パラパラ漫画だから、丁寧に描かれた通し番号のついた一枚一枚の絵が、ひたすらに繰られ、静かに淡々と美しい物語が紡がれていきます。
隅っこの方に通し番号が入っていたのですが、残念ながら1000を超えるあたりで物語そのものに気を取られて追いかけることを失念してしまいました。残念!
でもこの作品のために、どれだけたくさんの絵が描かれ、この物語を形作っているのか実感できます。
このパラパラ漫画のコーナーは本当に素晴らしかったです。

医療というものを考える時、先に技術ありきではなくて、まずは「人を思う心」が最重要視されること。
たとえば日本のもの、西洋のもの、一辺倒にならず、柔軟にいろんなものを取り入れること。
研究しわかったことを、惜しみなく、そしてわかりやすく、誰にでもわかるような形で庶民にも伝えようとすること。

今の社会が忘れかけているさまざまなことについて、いろんなヒントをもらった気がしました。