ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 大事にしたいもの

目に見えていること、目に見えないことも含め、家庭内にいろいろと変化の兆しがあって、期待と不安が行ったり来たりの今日この頃。
この変化が目先のどうこうじゃなくて、家族ひとりひとりのこれからの人生に根を張るものになるといいなぁと思いつつ。


うちのピアノ教室でも、今週はふたりのちびっこの初レッスンがありました。
どちらの子もおためしレッスンから期待で目をきらきらさせてやってきて、はにかみながらもやる気満々で。
わたしも久々の保育園児たちに引っ張られてやる気満々になって、久しぶりにお試し後の一回目のレッスンの前に、導入教育の専門書や自分の過去ノートを引っ張りだしてきて、おさらいしちゃいました。
「レッスンは常に極上のエンターテイメントでなくてはならない。子どもの注意を常に自分にひきつけながら、自分ではなく音楽の道へまっすぐに導くこと(そりゃそうでしょ、笑)」
な〜んて学生時代のゼミ関係のメモに書いてあって、あの頃はえらそうに言ってたけど、口ほどに考えておらず、今になってその言葉の重さがしみじみとわかる!なんて思ってみたり(笑)
そういや20年前くらいには必ず導入で使っていた「猟師さんの手遊び」っていうのがあて、このことをすっかり忘れてたけど、これリズムの導入に最適なんだった!と久々に思い出したり(これは自分用メモ)。

バイエルやツェルニーなど、その昔ものすご〜くメジャーだった教本たちを、一方的に外国から取り入れられた偏った教本、つまらなくて使えない教本という決めつけ視点からスタートして、わかった風に評論するのが「できる人」みたいな流れに乗っかった時期もあって恥ずかしい…とかね。
今にして思えばどんな教本だって使い方次第だし、楽しくもつまらなくもできるし、どうにだって活かせるのにと思ったり。
どんな立派な教本だって得手不得手という側面もあるし、一辺倒ですべてまかなえるはずもなく、いろいろ混ぜたり自分なりに抜粋したりは必要なわけで。
要は力量がないことを明らかに楽譜のせいにしていた一面もあるんじゃないかと思ったり。
かと言って単純に情熱という視点だけで比べれば、もしかしたら当時の方が熱いレッスンをしていたかもしれないと思ったり。

兎にも角にも、まだ5歳の二人とピアノとのお付き合いは始まったばかり。
まずはピアノが好きになってもらえますように。
ピアノを習うことで、彼女たちのその先にたくさんの楽しい世界が広がりますように。
続ける間にはスランプだって何度も襲ってくるだろうし、イヤになることだってきっとあると思うけど、少々の苦しいことも乗り越えていけるくらい、音楽の楽しさ、素晴らしさ実感させてあげられたらいいな。
なによりせっかくのご縁でうちに来たのだから、今までの子たちがみんなそうだったように、ゆっくりとだんだんにお互いの胸の内をちゃんと心を割って話せるような、レッスンで会えるのが楽しみになるような、生徒たちとそんな間柄になれたらいいなあ。

ついでに、今来ている生徒たちの中にもスランプの子たちがいて、その子たちの教材をしばらくちょっと目先が変わったもので、やや戻す方向に変えてみようとか、ソルフェージュを遊びながら強化していくカードを作ってみようとか、いろんなことを考えて、レッスン室にこもってなんやかんやしている時間が長くなりました。


そういえば…あの時間を守ることがすっかり抜けていた社会人のKちゃんが、すっごい進化を遂げました(笑)
「遅れる」とか「今日は仕事が終わらない」ということをまずはちゃんとメールしてくるようになったし(笑)
そればかりか、メールの後に「いつなら行けます」とか「何曜日と何曜日の間で振り替えていただけませんか?」とか、自分から先の予定を言ってくれるようになったのです。
前は「行けない」のあと「いつなら来れるの?」と返してから、次のメールまで返事が何日もかかって、レッスンを決めるまでの日々がものすご〜く長くて骨だったのですが、今はさくさくっと決まって、ものすご〜く楽になりました。
まあ当たり前と言えばそうなのですが、本人にとってはこれがほんとにむずかしかったようで。一時期はもうムリなんじゃないかと思ったこともあったけど、うちに来るようになって1年半、あきらめなくてよかったです。
こういう風にお互いにちょっとだけ我慢したり、気がつけば考え方が似てきたりもしながら、ほんのちょっぴりでも言ってきたことに成果が実感できるとまたがんばれるのですよね〜
彼女は、ベテラン先生から幼稚園全体の鼓笛の指導係の長を受け継ぐことが決まったのだそうで、益々はりきっています。


さて。

壊れちゃったウォークマンですが、なぜか翌日付属のスピーカーの上に乗せたら、ピっとかすかに音がして…あれれ?通電してる?となんやかんややっていたら、このままでも音は出ることが判明しました。
そもそも見かけは無傷なのですが、壊れちゃったのは液晶だけだったみたいで、画面が映らないだけでした。
ということは…何が鳴るかがわからない音楽のロシアンルーレット状態になってしまったということで(笑)まあ困ると言えば困りますが、一方でめっちゃおもしろいと感じているわたしもいて…ちょっとわくわくしてきて、そこから先はどうせなら!とずいぶん楽しませてもらいました。

たとえば一昨日は朝からつよしさんか玉置さんが聴きたい気分だったのに、ポチポチボタンを押してみるたび、なぜかウォークマンはずっと高橋優くんをガンガン推してきてちっとも思い通りのものがかかりません。
もちろん聴き始めればこれも全然好きなので、いいんですけどね(笑)ただ思い通りにならないだけ。

次に激しいのが聴きたくて、やみくもにボタンを押してみたら、薬師丸さんのサトウハチローがふんわり流れてきて爆笑したり。
笑い過ぎて涙目で聴き終わったら、さらに次が「変わったかたちの石」で…いや〜ん、このウォークマン、やっぱり一筋縄ではいかないわ!
でもこれはこれで大好き(はあと)とメロメロしたり。わたし、この曲は発売当初よりも今の方が断然好きです。
それにしてもこのロシアンルーレットちゃんは、アゲアゲになりたいわたしに逆らって、とことん癒しを送り込みたいのだな!とニヤニヤしたり(笑)


久々のマッキーの歌う「時代」に不意をつかれてグッときたり。
一番いっぱい入っているはずのつよしさんのアルバム「ロイノチノイ」にやっと出会えて喜んだり。
アシュケナージアルゲリッチショパンが突然胸に迫ってきたり。
突然玉置さんが先週のライブで大きく手を広げて歌った「サーチライト」が流れてきて、思わずあの包容力たっぷりの歌声を思い出してうるうるしたり。
(玉置さんライブオーラスについても書きたいです。ただいま下書き5割くらい)
その直後にラジオから抽出した「むくのはね」ピアノ一本バージョンが出てきてふたりの歌声に呆然としながら聴き入ったり(これもほんとに大好きだーっ!!)
数々の名曲の存在を思い出させてくれました。ありがとう!「Brokenウォークマン。」(broken冷蔵庫の微妙なパクリ、笑。この曲では二人の歌声、特にちょっと振り切ったコウイチさんの歌声が大好きなのだ!)

Broken 冷蔵庫が鳴る やけにBooBoo言う
Broken 誰もが少しは 壊れてるけど
かろうじてまだ がんばってる ちゃんと冷えてるぜ
そんなふうに やることをやろう 

です。
冷えはしないけど「聴こえてるぜ!」です。ファイト、ウォークマン!!


とはいえ、いつまでもそうも言っていられないので、一昨日修理に出しました。
ああ無事治りますように。

代わりに充電が数時間と続かなくなった一代前のウォークマンを出してきて、充電しながら音を鳴らせるスピーカーに乗せたら、このコがとてもいい働きをしてくれました。
ああ、まだ捨てなくてよかったです。こうやって使えばまだまだ使えるということがわかりました。
ウォークマンなんだから、持ち出せなきゃ意味がないと思っていたけど、もうちょっと柔軟に考えたらわかること。
こちらはこれからも現役続行宣言です!

そもそも前のパソコンと共にこのウォークマンのデータが壊れてしまったので、いまだここにしか入っていない音源がたくさんあるのです。

最初にスイッチを入れたら、買い替える前にものすご〜くリピートしていたシングル「瞬き」の時のプレイリストにぶち当たりました。

「瞬き」から始まるやつです。瞬きそのものは新しいものに涙奏を入れているからそんなにお久しぶりでもないですが、オリジナルもやっぱりいいです。
久々に大好きな「電」を聴き、なぜかプラトニックの青年のこれからを思い出して心がシーンとして思わずうるうる。
続く「Tearful melody」のちょっと不思議な進行がこれまた捉えどころのない青年を思い出させてとても切ない気持ちになり…
すご〜く懐かしくてなぜか今の気分とも絶妙にリンクして、甘酸っぱい気持ちになりながら聴いていると…
続けて入れた曲たちのことを思い出しました。

前にも日記に書いたと思うのですが、偶然このリストにわたしは「technologia-意思」や「赤いsinger」や「縁を結いて」なんかを追加して大きなプレイリストを作っていて、昨年平安神宮のセットリストを聞いた瞬間に、あれっ?わたしのプレイリストと一緒!!と驚いて、心底ぶっ飛んだのでした。
わたしってば予知能力あったっけ?って(偶然です、笑)

そのプレイリストを隅々までじっくりと聴きながら、プラトニックの世界観も奇跡的に一連のつよしさんの音楽世界からちっともぶれずに存在しているなあと思ったり。
「瞬き」の歌詞は命の期限を自ら知っている「青年」を思い出させるし、「赤いsinger」も。今を生きる彼の心臓は今確かに彼の身体の中で刻み、動いてる。
これらがプラトニックの挿入歌であっても全然びっくりしない感じなのが不思議おもしろいです。
もちろん天魔さんの世界観とプラトニックのそれとは、片やコメディー、片やファンタジー寄りのシリアスなドラマだし、180度違うはずですが、意外とふたつのお話のテーマは近からずとも遠からずかも。
どちらも儚い命を最期の瞬間まで慈しみ、生きていることに真正面から向き合うテーマをはらんでいると思います。

というわけで、これを聴いてもやっぱり気がつけばプラトニックのことを考えてしまう、最近プラトニック脳過ぎるわたし。
ああ、こんなにはまれるドラマに出会えてうれしいです。

そしてもうひとつ。
新しいウォークマンに入れたここ半年ほどの音源だけで生活していた今日この頃ですが、今回ウォークマンが壊れ、古いのを引っ張り出してかたっぱしから聴いてみたことにより、こんなにも好きな曲たちっていっぱいあったんだと思い出しました。

その後も昔のKinKiさんのアルバムとか、カップリング曲とか、いろんな音源が出てきて、たとえば家事をしながらCアルバムを聞いたりとか、10年前くらいによ〜くやっていたことをまたやってみたりなんかして。
「月光」「こたえはきっと心の中に」「Misty」「エンジェル」「ルーレットタウンの夏」ああ、この辺の曲も好きだったなぁとせつない気持ちになったりして。

つくづくと「ずっと好き」であることのしあわせを噛みしめてます。

最近「消費されるもの」がイヤで。いろいろな音楽や想い出が風化されちゃうのが悲しくて。
そんなことをずっと思っていたのに、自分だって気がつけば古いものをうっちゃって、新しいものに夢中になって、そんな風になってる…と反省したり。


折しも聖子ちゃんが今、あちこちの番組に出ています。
SONGSではノンストップ30分メドレー。一昨日の僕らの音楽ではなつかしい曲と映像がこれでもかと流れました。
僕らの音楽、録画すればよかったと超後悔、笑)
そして、昔映像を見ながら、聖子ちゃんの圧倒的なかわいらしさ、その存在感にあらためて感服しながら見てました。

あの当時は3か月サイクルでどんどん新曲が出ていた頃でしたが、そんなにたくさん出てるのに、どの曲も強烈な存在感を放っていて、どれもが忘れられていないのがスゴイです。
どうかすると衣装や季節まで覚えてる曲があったりもします。
今の常識で考えたら、こんなにたくさんの曲が人の心に確かにちゃんと足跡を残しているのが驚異的だと感じます。

時代が違うと言えばそうなんでしょうけれど。
次々新しいものに飛びついて、大事な歌、大切な想い出の数々を簡単に過去とくくっちゃうのは悲しいな。

新しいウォークマンが壊れたことによって、いろんな気持ちが生まれました。
結果的に落としてしまって壊れたものだから、いくら保証期間内であっても修理費がかかるかもしれないのが辛いところでもありますが、いいお勉強をしたかもです。