ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 花子とアン

途中まではずいぶん前に書いてあったのですが、ちょっとここのところの「なんやかんや」で止まっちゃってました。
わかりやすくオットが倒れた前日でドラマを見ること自体が止まっちゃってたのですが、今週末に全部見て追いついたので、また復活させて続きから書き足しました。
赤毛のアン」の物語を知らない方が読んだらちょっとわけのわからない日記かもしれないですが、あえてこのまんまアップします。
全然興味がない方はどうぞ飛ばしてくださいね。
というわけで、最初の方は1週目の感想です。

また新しい朝ドラが始まりました。大好きな赤毛のアンの翻訳者、村岡花子さんのお話なので、とても楽しみにしていました。
1週間見てびっくりしたことがあります。
このドラマは村岡花子さんの物語でありながら、ものすご〜く「赤毛のアン」そのものなのです。
多分赤毛のアンの物語の大ファンという方々ならば、ちらっと見ただけで「これは〜」というシーンが散りばめられているのに気がつかれることと思います。
たとえば主人公は「はな」という名前なのに、「はな」と呼ばれるたびに「花子と呼んでくりょう!」と訂正します。
「Ann」じゃなくて最後に「e」をつけた「Anne」と呼んでほしいのと懇願するアンと一緒なのだ…ということにすぐに気がつきます。
仲良くなるクラスメート男子との出会いの場面もアンにそっくりです。
他の子がやったのに、その子にイジワルされたと勘違いしてカーっとなった主人公は、書いていた石板で男の子の頭を殴って割ってしまいます。
まさしくギルバートとアンの出会いと一緒ではありませんか!!(笑)
「はな」がまだ起こってもいないことを想像し過ぎて怖がるシーンはまさしく「お化けの森」だし。
マシューそっくりの農夫の寡黙でやさしいおじいちゃんの口癖が「そうさなぁ」だったり。
美輪さんのナレーションの美しい日本語の中にも、赤毛のアンの一節がちらちら入っている気がします。
(時々急にお行儀が悪い言葉にあえてなることもあるけど、笑)
そうそう。「曲がり角の向こうには何が待っているのか…」という名台詞。これがまさか戦争中、空襲警報が鳴り響く中、主人公の口から出たのにもびっくり。
そういえば「赤毛のアン」シリーズの原作の最後の方にも第一次世界大戦の描写が出てきます。
平和な時代を存分に謳歌したアンと違い、アンの子どもたちは兵隊に行ったり、恋人を戦地に送ったり、10代の少女でありながら戦争孤児の赤ちゃんを預かって育てたりするのです。
国は違っても、同じように国と国との争いごとにいやおうなしに巻き込まれていく一般市民の物語を、「はな」は第二次世界大戦のただ中で一生懸命訳していたのだ…などと言うことは子どもの頃には想像すらしたことなかったです。
大人になって、モンゴメリの気持ちとモンゴメリに寄り添う村岡花子さんの両方の気持ちを想像しながらドラマを見る機会をもらったことは、とても意味があることのようにも思えます。
そこここにちりばめられた、赤毛のアンへのオマージュ。
多分アンをめちゃくちゃ読み込んでるマニアなら、ほとんどあちこちのページのセリフが入っていて、わたしもその一人なので、こうやって花子の人生を辿りながら「アン」の面影を探す楽しみができたというわけです。
(ちなみに…相当な余談ですが、この見ているドラマの「セリフがあちこち入っている感じ」。どっかで知ってる?なんだろう?と思ったらコウイチさんのSHOCKだったことに気がつきました、笑)
脚本の中園さんも赤毛のアンの物語のファンでいらっしゃるのかしら?
わたしは最初中学1年の教科書で赤毛のアンの物語に出会い、そこからずっと新潮社文庫の村岡さん翻訳の物語を読み進めながら育ったのですが、読み終わってから、他にもいくつか出版社も訳者も違う訳本があることを知りました。
その後出てきた新しい翻訳家の方々が、もっと馴染みやすい日本語で翻訳をなさっていたのもいくつか読んでみましたが、わたしは多少使っている言葉が古めかしくても、馴染んできた村岡さんの翻訳が一番好きで、それは今でも変わらなくて…だからこそ、この村岡さんの生い立ちや人となりがわかるドラマをとても楽しみにしていました。
ああ、楽しみだ〜♪
まだ物語がどんな風に展開していくのかはまだまだ1週が終わったばかりだし、ものすご〜く未知数ですが、綾香嬢の歌う主題歌もとってもいい感じだし、タイトルバックに現れるアンも素敵。
半年間、じっくりと楽しみたいと思います。 
ドラマはこんな風に穏やかな気持ちで、じっくりゆっくり楽しむのがいいなぁ…


とここまでが一週目に書いたところです。

その後の2週間は「はな」が女学校に入学してからのお話です。
ちびっこ「はな」がまったく自分の中で英語を受け入れられず、拒否モードで逃げ回っている感じ。わかるなぁと思ったり。
先生がプライベートな時間に歌う、美しい歌声をたまたま聴いて英語に興味を持つ瞬間とか、すっごく好きでした。
「Go to Bed!!」のブラックバーン校長先生は、すごく怖くてどこまでも厳格だけど「はな」の本質もちゃんと見ていて、実は愛情深い方だなぁと思います。
イメージとしては彼女はアンの育ての親とも言えるマリラ的なのかな?
私情を差し挟まず、誰に対しても認めるところはちゃんと認めてる感じも好き。
あの「ゴミ箱から拾った先生のお手紙を丸写ししてものすごくいい評価を得てしまう事件」もどこか子どもの頃のアンを彷彿とさせるエピソードだなぁ。
ここに、もっともっと大仰にあやまって、周囲を大いに呆れさせつつ、紆余曲折あって結局許されちゃう展開があったらもっと完璧だったのに…と思ってしまったわたしはやっぱりネタ的に見ちゃってるかもだけど。
その校長先生が「はな」の門限破りにちょっとやりすぎな罰を与えたあとで、やり遂げた彼女に山梨に帰る汽車賃を出してくださったところは思わず涙…でした。
相変わらずマシューみたいな、すべてを包み込んでくれるおじいちゃんの存在も素敵だな。石橋蓮司さん、ものすご〜い好演だなぁ。
孤児院で知り合った小さな子のミニーメイという名前も、アンの物語の中で出会ったことがある名前だし、あちこちに小さく散りばめられたアンの物語との共通点も楽しみつつ、「はな」の物語もしっかりと楽しんでいきたいと思います。
折しも今週から仲間由紀恵嬢が出てきました。
桜吹雪の中の登場シーンだけで、ものっすごい存在感(笑)なんだかごくせん風味もあり〜の?な仲間さん。
彼女がのちに「はな」の腹心の友になっていくのですね。なんだか今後いっぱい嵐を呼ぶ予感〜♪とってもわくわくしました。
時代背景からしても、これからどんどん英語を学ぶ人にとっては風あたりが強くなる時代へと向かっていくのは容易に想像がつくし、そんな中で翻訳された物語「赤毛のアン」について、その時代背景やどうして「これ」だったかも含め、いっぱい考えるきっかけをもらえそうで、とても楽しみです。
今朝は葡萄のお薬事件(笑)
子ども時代のアンがいちご水だと思って、ダイアナに葡萄酒を間違って飲ませてしまった事件を彷彿とさせます(笑)
あの場面では何回もおかわりをしちゃうのはアンじゃなくてダイアナですけれども。
こんな風に新しいドラマの物語の筋を追いながら、昔読んだ本のエピソードが次々と顔を出す。
一粒で何度もおいしいドラマであることよ!!
ふぇるまーたに時々立ち寄って言葉を掛けてくださるAnneさんも、朝ドラをご覧になっているかしら?
いつか「アン」について、この物語をこよなく愛するみなさま方とじっくりお話する機会があったらいいなぁなんて夢見ています。
今まで本を読んできて、好きな物語はそれこそいくらでもあるけれども、わたしにとって、子ども時代にとどまらず、今でもすぐにそこへ戻れちゃうくらい思い入れが強い本はそんなに数多くはない気がします。
今後の展開も楽しみです。