ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 彼方(タイムマシーン)

少し前のことですが高円寺に行きました。
この話は普通のロケ地ウォーカーとして書こうと思ってたのですが、個人的にどうしても引っかかったことがあって、何度書こうとしてもやっぱりそっちへ行ってしまい、どうにもこうにも衝動が抑えられないので、本能に従ってとりあえずそっちから書くことにしました。
とっても個人的な想い出話なので、興味がない方は遠慮なく飛ばしてくださいね(笑)
高円寺はわたしが14歳の頃からお嫁に行く24歳の時まで住んでいた街です。
行く前はほぼ忘れていたのですが、友人の空さんと共にかの地に降り立った途端、何の迷いもなく商店街の方へ身体が自然に動きました。
商店街の入り口には「パル商店街」って書いてあります。
「ロケ地はルック商店街だよね?」と話しつつも「大丈夫大丈夫。途中からたしかルック商店街になるはず」…みたいなことを言った覚えがあるのですが、実はそんなこと、ちっとも覚えてなくて、実際に高円寺に降り立ってみたら自然と思い出しました。人の記憶っておもしろ〜い。
そしてこの間水樹奈々ちゃんの本について感想を書いた時にはちっとも思い出さなかったことを思い出しました。
彼女が東京での暮らしのスタート地点に立った頃とほぼ時期を同じくして、わたしも東京のスタートラインに降り立っていたのだということをするすると思い出したのです。
あの本を読んだときはみじんも思い出さなかったのに。
引っ越してきた社宅は環七通りにほど近い大きな敷地の中にありました。
(正確に言うと当時住んでたのは東高円寺で、その後1年を待たずして新高円寺にほど近い一軒家に引っ越して、お嫁に行くまでそこに住んでました。)
ガードレールがスモッグなんだか黒くすすけていたこと、どんよりとした空気の悪さ、引っ越して早々に一人で都バスに乗って自分のレベルを知るために受けに行った業者模試。
分厚い辞書みたいな高校の学校案内。無数にある東京の高校。午前午後とふたつのテストのあと、初めて一人で入ったマクドナルド。
荒れに荒れていた頃に転校生で入った中学校。
山口では普通だった、セーラー服の中にタートルを着る…みたいなのをして学校へ行ったらものすご〜くダサいと笑われたけど、かたくなにそれで登校していた自分。
公立が第一志望と言ったら「あなたが越してきたことで、一人公立へ行きたい子が落ちるかもしれないの。悪いけど、この学校の先生たちは、今頃のこのこやってきた転校生より、元々いた子を一人でも合格させてあげたいと思うわね。」と担任。
「ふーん。そういうもんなんだ。」なぜか他人事みたいにものすごく冷めた心で思ったこと。
「内申はないと思いなさい。田舎の学校の通知表はあてにならないから。あくまでも一発勝負だと思って受けなさい。」というアドバイス
荒れてなかった分、絶対に山口の学校の方がレベルが高いはず…なんて、ここでも超冷めて思っていたわたし。
めちゃくちゃ怖い女子がいて、大食缶を蹴飛ばしてきて、中身をすべてぶちまけられて、取っ組み合いの大ゲンカに至ったこと(笑)
遠巻きにできた大きな見物人の輪。
妹以外と取っ組み合ったのは、多分あれが最初で最後(笑)
「絶対にチクるんじゃないよ。あとが怖いから」あとからそっと言いにきたクラスメート。
不思議と学校には行きたくない…とはひとつも思わなかった当時のわたし。相変わらずセーラー服の襟の下からダサいと言われたシャツをかたくなに出しつつ(笑)通ってたなぁ。
両親はあまりの事態に社宅のボスのような存在のお宅に相談に行ったり、陰でいろいろしてくれてたみたいでしたが、わたしはあまりにも置かれた環境が破天荒で想像を絶したためか、感情を動かすのをやめて、淡々と…ひたすら淡々と通ってたなぁ。
どうせあと3か月。「どうせ」という言葉は今は大嫌いで使いたくない言葉ですが、あの頃は「どうせ」が確かに心の支えでした(笑)
しばらくして学校で一番のワルと言われてた男子の妹になぜかわたしがそっくりだったという不思議な理由で、何かと彼に世話を焼かれるようになって、その後はバトルとは無縁になったこと(笑)
授業中頻繁に爆竹が鳴る教室。後ろ向きにトランプを切る生徒たち。出入り自由の教室。忍び笑いと無関心。
そんな中で淡々と授業をする年配の数学の先生。ひどく生徒からはなめられていたけれど、受験科目が突然5教科から3教科になって戸惑いパニックに陥ったわたしを毎日放課後に職員室に呼んで、根気強く個人授業をしてくださったのは、実はこの先生。
ほんとうによくしていただいて、今でも感謝しているのだけれど、今にして思えば、先生にとってもこの放課後のマンツーマンの特訓は「居場所」だったかも。
そしてその職員室によく呼ばれて来ては、怒鳴ったり号泣したり、暴れつつもぽつぽつと家の話をしていた大食缶の彼女。
複雑な家庭事情とか、居場所がないとか、漏れ聞こえてくる話を聞くでもなく聞いているうちに、気がつけばどこか不思議な親近感のようなものが沸いていて…
わたしだけかと思ったら、最後の調理実習でとっても不器用にわたわたしてるわたしの横に来て、仏頂面のままフライパンを取り上げて、焼いてくれたものすごくふかふかのオムレツ。ああ、こんなに上手になるくらい、この子は自分でなんでもやらざるを得なかったんだなぁとせつなくなったこと。
パトカーが何台も止まる中粛々と行われた卒業式。普門館に毎夜集まるものすごいバイク集団。
無事志望校に合格して、その後始まった高校生活があまりに普通で、そこで出会った先生も友達もみんないい人ばかりだったので、まるであの3か月間は夢みたいな、ほんとのこと?と疑いたくなるような短期集中的な話でもあるのだけれど、今思い出してみても14歳が突然ぶち込まれた環境としては、かなり奇異だったと思います。
思い出したくもない話だと思ったこともあったけど、この年になって思い出すと「強いわたし」「負けないわたし」はあの3か月でかなり培われたのだと思うのですよ。
そんな忘れかけてた記憶の欠片が突然後から後から押し寄せてきて、不思議な気持ちになりました。
その後無事高校に入学してからは、びっくりするほど普通だったので、あれは夢だったかも?と思うくらいなのですが、この年になっていきなり思い出しました。不思議。
あの時とっくみあったゆかりちゃんは今も元気にしてるかなあ。

嗚呼…ぼくの街よ

さて。
普通に高校生活が始まってややしばらく、自転車で真ん中を突っ切ると高校まで15分くらいで行けることがわかって、わたしは自転車通学になりました。
このあたりからの記憶を辿ると、どんどん東京の景色や印象が『足し算』になっていきます。
最初の3か月は思いっきり『引き算』でしたけど(笑)
「東京なのに」こんなに緑が濃い場所があるんだなぁという感動。
(通学路に大宮八幡という八幡さまがあって、ここは深い鎮守の森があって、とても素敵なところでした。)
派手な人が多いと聞いてたけど全然だ!地味なくらいだ、化粧っ気のない人も多いし…という実感。
つつましやかで堅実、おだやかで、細かいことを詮索しないやさしさのある東京の人たち。
高校の校門から昇降口まで続くとてもとても美しいイチョウ並木。
制服もなくほんとに自由な都立高校の校風。
タンクトップやヒールを履いて学校に行く子も、ロッカーやパンクっぽい頭、スタイルの子も、芸能人もモデルさんもいたけど、不思議とまったく荒れてはいなかったし、おっとりした学校の雰囲気。
夏休みを終えていきなり禿げ頭がふさふさになって戻ってきたI先生(笑)
上履きのまま買いに行けた学校の敷地の外にあるパン屋さん(ほんとはもちろんダメだけど、笑)
学校の前で行われていた、大場久美子さんのコメットさんのロケ。
入学して早々のクラスの役員決めが、全員立候補で決まったことに心底びっくり。
わりと控え目で自分からしゃしゃり出たり、目立つことを嫌う山口の中学校ではなかった光景だったけど、そんな空気が妙に新鮮で素敵だなあと思ったこと(笑)
東京の子たちなんだから派手に決まってると思い込んでたけど、思いのほかみんな中身は全然地味で普通だった(笑)
10人くらいのグループで六本木のアマンドの前で待ち合わせしたら、半分以上が迷子になったり地図を持ってたりした、あきれた東京都民たち(笑)
自転車がパンクしていて、一人とぼとぼと自転車を押して校門を出たら、めざとく見つけて一緒に家の前まで付き合って歩いて帰ってくれたボンバーヘアーのクラスメート男子。
高円寺の商店街は、わりと地味で昔ながらの感じで、結構好きだったこと。
自転車で通りぬけてはいけないと言われてるのに、いつも通り抜けては叱られたこと。
公園でも道端でも、スイッチが入るとどこでも突然ハモネプ状態になった高校の合唱部(笑)
たまり場はミスドモスバーガー(笑)
仲良しの女子とも男子とも、無数に交わしたルーズリーフを折った小さなメモ書き。今思えばこれがメールの走りかな(笑)
合唱部のバリトンの先輩が作ってた自主制作のカセットテープ。多重録音作業のお手伝い。確か「音の雑貨屋さん」ってタイトル。「傘がない」みたいなサウンド。
先輩、その後どっか送ったのかなぁ?
時計を落とした!と大騒ぎをして探してる途中に袖をめくったら「してた」…とか
コンタクトがない!とバスでお客さん全部を巻き込んだ騒ぎを巻き起こしたのに、実は目蓋の裏側に回ってただけだったとか…
指先から血が出た…イタタタタ…ピアノの試験受けられません!と大騒ぎした友達が、とりあえず消毒と手を洗ったら赤いマジックがついてただけで、あの痛みはなんだったの?と言われ、ほんとなんだったんだよ〜と思ったこと(笑)
大学に遅刻しそうで、30分近く環七を自転車で突っ走って野方に出る、とんでもない奥の手。
帰りに自転車を置いてることを忘れて電車で新高円寺まで戻ってきちゃって途方に暮れるおバカさん。
あきれるほどマヌケで罪のない想い出の数々。
どれもさして実を結ばなかった片思い。
それら現実の世界の恋よりも、むしろずっと心底焦がれ、大好きで…時々大嫌いで…でもやっぱり大好きだったオフコースの小田さん(笑)
助っ人をしてた某大学アマチュアバンドの、派手だけどいつもお金がなくて、人にとってもやさしい男子たちとの軽音部ってこんな感じ?な日常で非日常な日々たち。
まったく女扱いとは無縁だったけど、みんないいコたちだった(笑)
音大とはまたまったく別世界の居場所。
うすっぺらい味のきゅうりのつまみと酎ハイだけで何時間でも居させてくれる懐の深い居酒屋。
集う貧乏ロッカー達。小さなライブハウス。時々大物が来て演った!と伝え聞いてどっひゃーっ!!となるロッカーの卵たち。
昭和初期から創業?という感じの古びた薬局や金物屋さん。
昔からあるスーパーの三平ストア。(多分リニューアルしたんじゃないかな。今回見たらちょっと変わってました。)
新宿とか渋谷よりずっと安心、落ち着いて遊べるいい街だったなぁ。
この街を歩き、その当時の記憶がよみがえったことにより「shamanipponーロイノチノイー」の中のとくべつよしちゃん盤の最後の曲、彼方「タイムマシーン」がものすご〜く実感的に胸に迫ってきて、あれ以来離れずに胸の中にずっと居座っています。
毎晩寝る前にこの曲を一曲リピートで10回は聴くという習慣ができてしまいました。
わたしが生まれたのは栃木県ですが、5歳くらいから14歳の途中まで、主に記憶に残る子ども時代を過ごしたのは父の転勤で引っ越した山口県です。
蛍の舞う田んぼの山深い、保守的でよそ者にはちょっと意地悪で、でも本当はとっても心優しい人たちが暮らす田舎町で過ごしたちびっこ時代。
もうちょっと大きな町で港と田んぼと山と海のある、柳の木の下で錦鯉が泳ぐ綺麗な川の町で赤毛のアンの世界と吹奏楽にはまってたローティーンの頃。
なぜか毎週日曜日の午後、お天気のいい日は屋根の上で日なたぼっこしながら歌謡曲の4時間くらいのランキング番組を延々聴いてた不思議な想い出(笑)
そして忘れもしない中3の、年の瀬押し迫る12月になってから父の東京転勤が決まり、15歳になる直前に高円寺に引っ越してきました。
わたしがふるさとをイメージするとき、真っ先に思い出すのはやっぱり小さい頃を過ごした山口県の片田舎で、多分つよしさんにとっての奈良と同じ位置づけとして覚えているのはここ。
広島と長崎に挟まれた場所にあり、近所のおじいちゃんに被爆体験を聞いたり、そういう本が毎年課題図書になったり、修学旅行や社会科見学で行ったりしているので、平和を失うことは何よりも怖いです。
そしてそして「育った場所」「培われた場所」という位置づけで考えるとやっぱり東京なのだろうなぁと思います。
「智恵子は東京に空が無いといふ」なんて文章に触れたとき「ええーっ!?ありますけど。いくらでもきれいな空が!!」とカチンとくるくらいには東京が好きだし(笑)
「派手な人ばっかりなんでしょ?」とか言われると、それは主に外から来て東京に住んでる人たちのことじゃないの?東京っていうところは、日本中から人が集まるところだから…と思ったり。
さらにたった4年ですが、多国籍文化の中で暮らしたマレーシアの感覚も確かにわたしの中にあって、ここでは「自分と違う人を認める」「自分と違う考えの人を思いやりつつともに生きる」ことの素敵さを知りました。
それらすべてがあって、良きにつけ、悪しきにつけ、今のわたしの核の部分がカタチ作られているのだろうと思います。
桜守りの藤右衛門さんがつよしさんに「ふるさとが作品に投影されるのは、そこで生まれているのだから当たり前。」みたいなことをおっしゃってましたけど、生まれた場所に限らず、過ごした場所とすべてが、その人をカタチ作るものの中にパッケージされていて、すべての体験があいまって今が息づいているのだろうと思います。
たま〜にタイムマシーンに乗って「彼方」を思い出すといろいろな景色やわたしのロイノチノイがより鮮明に見えてくる気がします。
な〜んて考えているようで、実はただただアルバムに浸ってるだけかも?!
もう何度リピートしたかわからないアルバム曲の数々を聴きながら、しばし無口になってました(笑)

時間を急ぐ人々は 時も刻まずに 人生を彷徨う旅の途中

ああ、時々立ち止まらなくっちゃね。またつよしさんにいいきっかけをもらいました。
この曲ほんと好きだなぁ。
もちろんこの曲だけが好き、この曲が一番好きというわけじゃなくて、高円寺というキーワードでとりあえずこの曲に真っ先に引っかかったということです。
まだまだどれが一番になるのかはわかりません。「旅の途中〜♪」です(笑)
さて。
ここ1週間、いろいろと心を支配し、喉につかえていたものをやっと吐き出したので、次からは普通に高円寺ウォーカーの話、及びお香屋さんの話とか、映画RUSHの話とか、先日の兄弟のボク羽根の話とか、アルバム話とか、ココロ見話なんかをちょっとずつ書こうと思います。