ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 金色の野辺に唄う

金色の野辺に唄う (小学館文庫)

金色の野辺に唄う (小学館文庫)

この本ははてなダイアリー仲間のただ有明の月ぞ残れるyuraさんが書いてらしたこの日記に触れ、どうしてもわたしも読みたくなってamazonで速効注文しました。
(yuraさん、トラックバックさせていただきます!勝手にリンク張らせていただいちゃってすみませぬ。そして素敵な本のご紹介、ありがとうございました!)
なぜ「つよしさんカテゴリー」を入れたかというと、第一につよしさんにもオススメしたいと思ったからです(半分ウソで半分ほんと、笑)
いやいや、つよしさんがこの日記を読むはずもないんですけど、なんとなく気持ちとして。むふふ。
活字を読むのが苦手でもあさのあつこさんの文章はとっても読みやすいと思うし、秋に読むのにぴったりの本だし。
「瞬き」のCDと同じタイミングで出会ったことにとっても意味があるような気がしたからというのもあります。
それでも読むのが大変だというなら、なんなら膝まくらで…ごほごほごほ。
はい。よけいなお世話ですね。わかってますとも(笑)
そして冗談はさておき、この本を「瞬き」や「電」と同じタイミングで読めた巡り合わせをわたし自身がしみじみと噛みしめたからです。
ということは…多分にファン的感想になっているということです。
普段はあんまりそういう書き方はしたくないと思う方なのですが、あまりにも今回はそっち側に引っ張られたので、あえてつよしさんカテゴリーを入れて、ファン的感想と割り切ってしまうことにしました。
というわけで、一般的な感想のつもりで読むと混乱するかもです。多分ふぇるまーたをのぞかれる方のほとんどはこういう成り行きになることもあるのは御存じだと思いますが、一応通りすがってくださった方もいらっしゃるかもと思い、その旨、書かせていただきました。
もちろん多少意味不明なところはあるかもですが、普通の感想としてお読みいただいてもちっとも構いません。
そういえば、ずっと前にふぇるまーたで、あさのあつこさんと三浦しをんさんの対談について触れたことがあるのですが、あれ?いつだっけ?と遡ったら、なんと7年前だったという…思えば遠くへきたもんだ♪
この時の日記に書いたのですが、2006年だって。びっくりです。
そしてこの時の対談であさのあつこさんが

実はKinKi Kidsが大好き。とりわけ堂本剛

って書いてらっしゃるのですよね〜みなさん、ご存じでした?
タイミング的には断然この本がずっと先のはずですが、この本を読みながら、あさのさんはつよしさんの「瞬き」をお聴きになったかしら?とふとそんなことを思いました。
そしてもし聞かれたとしたら、ご自分の書かれたこのご本のことを、ふと思い出されたりしてないかなぁ〜なんて思いました。
yuraさんの感想がとてもステキだったので、冒頭で紹介させていただいたし、この日記はここで終わってしまってもいいくらいなんですけど(笑)わたしも読んだので、以下わたしの感想を蛇足のようにあげておきます。
amazonの内容(「MARC」データベースより)のところには

山陰の静かな町で、90を超えた老女が息をひきとろうとしていた。看取るのは、老女の曾孫、孫の嫁、近所の花屋の店員、そして娘…。屈託や業を抱えながらも、誰かと繋がり、共に生き抜いていくことの喜びを描く連作短編集。

と書かれています。
表紙意外に挿絵がある本ではありませんが、表紙の絵が象徴しています。色鮮やかな色彩が感じられる物語だということを。
空の青、風のような水色。稲穂の金色。そして赤は焔の赤。そして熟れた柿の赤。
物語は秋を舞台として書かれ、終始秋の色に彩られています。
あまりにその光景が色鮮やかに臨場感あふれる感じに描かれているので、脳裏に金色のどこまでも広がる風に揺れる稲穂が、今にも落ちそうな熟れた柿の焔色が、リンドウ(竜胆)の美しい紫が押し寄せて、自分の中の色の記憶や秋の記憶と、物語に出てくる人々のあまりにも切実な思いの数々が、さらに心に迫ってくるような気がしました。
さらに百舌鳥の声だったり、登場人物の思い出の中のおばあちゃんの片頬だけを染めた秋の日差しだったり、どうかすると物語には描かれていなかったわらの匂いやトンボの飛ぶ姿までもが脳裏に浮かんできて…いちいち胸を揺さぶってなりませんでした。
お話は92歳の松恵おばあちゃんがまさに息を引き取ろうとするその瞬間から始まります。
一章ごとに紡がれる物語の主人公は、それぞれ松恵おばあちゃんの身内だったり、せっぱつまった状況でたまたま袖を擦り合うも…のご縁を得たお花屋さんの店員さんだったり…なにかしらおばあちゃんとの大切なエピソード、思い出の瞬間を持っています。
おばあちゃんの死に触れて、みんなの心の中に蘇ったおばあちゃんとの思い出のひとつひとつが、おばあちゃんにとっては何よりのお弔いのような…そんなお話です。
しかし、一人一人が抱えている問題や悩みごとはどれもとても深刻で、生きることに絶望したり、あきらめて逃げたくなったっておかしくないような、運命を呪いたくなるようなことばかり。
誰かにどんななぐさめの言葉をもらおうが、簡単に納得したり、割り切れたりするようなことはひとつもありません。
それでも人は生きて行かねばならないし、痛手を負い、傷つき、心に闇を抱えたままでも淡々と年月は過ぎていく。
そんな日々の営みの中で、ふと誰かにもらったやさしさがきっかけで、かたくなな心がほぐれたり、絶対にムリと思っていたことが潔く割りきれたり、生きるパワーになったり、自分の中の何かが変わったりする。
そうやって先を生きる者が意図したわけじゃなく、何気なく言ったひとことが後から追ってくる誰かの力になったり、その人を助けたりする。
生きるということの連鎖とか、命のバトンとか、そんなことをそんなに深刻にではなく、薄々くらいのテンションで感じながら、あまり考えすぎずにあるがままの物語を感じながら読みました。
わたしが常日頃からお手本にしたいと思っている女性像は、母方の祖母のそれであり、なぜか彼女にそっくりな今は亡き義母だったのですが、この本を読んでいて、また理想の人がもう一人増えたような気がしました。松恵さん、その人です。
特に好きな松恵さんエピソードは、おばあちゃんからみると、孫の後添いに来てくれた美代子さんになにげなくかけたひとこと。

「美代子さんは、身の内に珠を持って生れてきた人やね」

これは「そこに居るだけで、他人を幸せにできる人」という意味だとおばあちゃんが説明してましたが、早くに亡くなってしまったおねえさんと常に比べられ、深く傷つきながら生きてきた美代子にとっては十分すぎる肯定のひとことで。
初婚で後添いに行くことになり、すでにお相手には大きな男の子がいて、類まれなる美しさの一見近寄りがたい義母がいて、大丈夫だろうかと不安にさいなまれ迷っていた心を吹き飛ばしてくれます。
その時の美代子の感情を表した文章がとてもステキです。

身も心も、軽くなる。風の中を浮遊する。揺らいでいた心が鎮まり、委縮していた感情が広がっていく。

ああ、なんて素敵な気持ち。素敵な表現であり文章であることか。

または、りんどうを届けたお花屋さんの店員の青年のエピソード。
あまりにも自分がしでかしたことの罪の深さに自暴自棄になっていた青年が、偶然松恵さんの家に勝手にあがりこんで鍋から牛の甘露煮をむさぼり食っているのを発見した時も、松恵さんはいきなり怒鳴ったり通報したりせずに「どうしたね?」とおっとりとほほ笑みかけました。
「きちんと靴を揃えて脱いどるから、行儀のええ人やなあって思っただけやでな。」と言い、ごはんを振る舞うおばあちゃん。そして「ごちそうさまでした。」という彼にまたしても「ほんまに、行儀のええ方やね。」と軽やかな笑い声をたてながら声を掛けるなんてことができる人。
自暴自棄になり、おびえ、絶望の淵に立っていた青年は、この一言で立ち直り、職を得、人生そのものまで立て直すきっかけをもらいます。

こんな風に松恵さんにまつわる、小さな、大きなエピソードが、主人公をチェンジしながら順繰りに語られます。
どの話もとても重たい側面を持っているのに、どこか暗くなりすぎず、淡々とした調子で語られ、お芝居を見ているように物語は進んでいきます。
そんな松恵さん自身にも、苦々しくて決して忘れ去ることができない思い出があって。
それは自分の娘の中で一人だけが偶然とても美しく生まれてしまったことから端を発していて…夫に自分の子ではないのではないかと今わの際のその時まで疑われたままでいたことを知るのです。
言い訳する機会すら与えられずに死んで行った夫の一言の呪縛に、松恵さん自身が命がなくなるその時まで苦しめられてきたわけですが…
それでも日々は続いてゆき、どんなつらいことがあっても朝は淡々とやってくる。
このおばあちゃんと、彼女にまつわるさまざまなエピソードを読んでいると、「亀の甲より年の功」という言葉のエッセンスがほんとの意味で欠片だけでもわかったような気がします。
自分が生きてきた証、つらいことも苦しいことも、楽しいことも、うれしいことも…それらの膨大な日々が、その経験からふと出てきたなにげない言葉がたとえ偶然にでも、タイミングよく次世代を支えるほんのちょっとの力になるなら、それはどんなにしあわせなことでしょう。
そうやって自分が亡くなってもその人の言葉や知恵や、やさしさやユーモアや…そんなものが後世へと繋がっていくのならどんなにありがたいことでしょう。
人生の終わりは、誰もが自分で選ぶことはできないし、どんな人の身にもひとしくいつかは訪れるものだし、どんなに患っていようが、健康であろうが、いつだって死は突然にその人の、そして家族の身に降りかかるもの。
そして残された者はおろおろし、嘆き悲しみ、喪失感に襲われながらも、やっぱり日々はきのうと同じように続いてゆく。
誰もが一度は心を救ってもらったおばあちゃんの死を悼み、悲しみ、秋の美しい景色の中でお弔いの儀式の準備が進んでゆく。
ああ、ほんとうに味わい深い本でした。
そしてここからはさらに蛇足。
つよしファン目線の感想です。

目蓋を閉じれば
大切なものが溢れ出す
なにげないことほど 美しい詩はない

瞬きするたび 
大切なものが消えてゆく
戻れない記憶を
過去(きのう)へ見送るブルース
誰もが鳴らしながら
そっと
明日を信じてる

どうしても脳内BGMが「瞬き」になってしまい、頭の中で静かに鳴り続けて困りました。
この新曲期間のこのタイミングで、この本に出会わせてくださったyuraさんに心から感謝です。
さらにさらに…これはわたしの勝手なイメージでしかないのですが、「電ーいなづま」もまた、脳内でずっと鳴っていて、それはこの曲の歌詞が、この物語の中に流れる景色や気持ちと微妙にわたしの中でリンクしたからかもしれないし、なんだか心の引き惹きつけられ方がこの曲とこの物語、とっても似ていたからかもしれません。
曲の方が若干もうちょっと季節が過ぎて、秋というより荒涼とした冬枯れの景色も浮かぶのですが、曲の最後のところ、暗号のような

ru te si i a
ra na u yo sa…

のあたりからの心が叫んでいるような音の記憶が、この物語とデュエットして心に迫ってきて、たまらない気持ちになりながら読みました。
「アイシテル サヨウナラ…」
この歌のメッセージは、まるで松恵おばあちゃんのような、心から大切な人をそっとあちら側へと送るメッセージのようにも思えて、何重にも歌と物語が重なって胸が詰まりました。
そんな物語でありながら、読後感は意外とさわやかでした。
ラストシーンでは、美しい秋の季節に旅立ちを迎えたおばあちゃんが、晴れ晴れと旅立ってゆきます。
こんな旅立ちを迎えられたらどんなにしあわせなことだろうと思いました。