ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 奈良旅 その8 (6月10日)やっぱり水が好き「山上川」編

いつもたくさんのスターや拍手、ありがとうございます。
拍手コメントをくださったMさん!!コメントありがとうございました。
楠木家とゆかりのお家かもしれないのですね。
かの一族の運命に思いを馳せるととても心が痛みますが、立派な志と強い意思を持ったお家柄。誇れるご先祖さま。素敵です。
さて、ここからが本格的な天川編です。
オーソドックスな龍泉寺や天川神社のことは昨年わりと丁寧に日記にしたので、今年はふら〜っと散歩した時に撮った画像を中心に「普通の天川」を紹介したいと思います。
ちなみにちゃんとした天川の観光地の画像やそれについて書いた文章が読みたいという方は昨年のログをご覧ください。
こちらからだんだんに辿っていただければ。
特に龍泉寺さんは昨年の方が断然春の花がいろいろと満開で華やかでしたし、天川神社についても今年よりより細やかに画像等撮っていて、それを一応形にしてあります。

橋からの景色。山と家並み。川をのぞきこんだら、びっくりするほどたくさんの魚がいました。
透明度が高いので、お魚さんたちが自由に泳ぎ回る姿をしばしじっくりと観察しました。

このおだやかそうな川が、突然に大暴れすることもあるのですよね。
いつぞやかの台風の直後、生々しい爪痕を見ました。
家をも流されるほどの自然の恐ろしい水の力。そのことも忘れてはいけないのだと思います。
この水面からは想像もつきませんけれども・・・

空の美しさたるや・・・透明な川面に青空が映っています。まるで心を映し出す鏡のよう。

いろいろな表情を持つ川です。見ていて飽きません。

日なたになったり影になったり。

川面がキラキラしています。
小さい頃に読んだ「水の子トム」という、ちょっと怖い童話を思い出しました。
生まれてこのかたしつけをされたことがない、していいことと悪いことがわからない子ども、トム。
意地悪な親方の元で、一生真っ黒になってはたらき、死んでいく運命だったであろうトムは、ある日水に落ちたことがきっかけでエラが生え「水の子」になります。
水の中の暮らしの中で出会った生き物たちや妖精たちに、世の中のこと、していいことと悪いことを教わりながら、たくさんの水の子たちと共に成長していくトムのお話は、子ども目線ではちょっと意地の悪い、怖いお話でもありました。
そうでありながら、なんだかとんでもない魅力的な世界観でもあり・・・
物事の裏と表、自分の中の、人間の、美しいところと醜いところの両面が合わせ鏡のように写し出されていて、勧善懲悪じゃない感じとかとてもとても好きな世界観でした。
自分が見ている世界は実は世界のほんの一部の一部で、見えない部分もいつだって重なり合うようにそこにあって、実は自分の方の準備さえできてれば、見ることだって触れることだってできる・・・のかも?!なんてふと思う。どっから出てきた?そんな発想(笑)
ああ、なんでこんなに美しい景色にに胸を打たれながら、こんなほろ苦い童話のことを思い出してるのかしら(笑)
ついでに補助輪付き自転車で遊んでいて、夢中でペダルを漕いてたら1m下の小さなどぶ川にどっぼーんと落ちて通りすがりのおじいちゃんに助けられた幼稚園の時のエピソードとか・・・
母の日に妹とふたりで買った300円くらいの山ほどのイワシが、持って帰る道すがら、ほんとに臭くて捨てたくなったこととか(その値段でたっぷり買えたのが多分イワシくらいだったの、笑)・・・
小さい頃から呆れられるほどうまかったちょっとずるい言い訳(ピアノをサボる時なんかに、笑)
土曜日の夜、懐中電灯を持ってあぜ道を公会堂まで行く道すがら「怖いだろうから手をつないであげる」という体で妹の手を握って歩いてたけど、実は怖かったのはどうみてもわたしの方だったなんてことまで・・・
次々とほろ苦へんてこエピソードが勝手に浮かんでは消え、こっそり自虐的にふははと笑う。
ああ、わたしの中のどこかひねくれたAB型スピリット(笑)間違っても天使のような子・・・ではなかったなぁ(笑)
わたしが江國香織さんの小説に出てくる不思議な、あるいは都合の良い発想をする女性たちにどこか惹かれるのは、わたしがああいう一面を持ってるからなのかしらん。
コンポスト生ゴミを肥料に・・・みたいにこのひねくれたエネルギーを何かいいことに有効利用できないものか。
天川にくると、いつも子どもの頃のことをいっぱい思い出します。
まるで過去と今が交わる、信号のない交差点のような場所なのですよね〜わたしには(笑)