ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

未熟者ですみません。

下書きだけしてほったらかしたエントリーがたくさんたまってしまいました。
GWのあいだはそれらをまとめ、アップすることに終始してしまうかもです。
ただし・・・
本題に行く前にひとつだけ。
おわびしないといけないことがあるので、そこから始めます。
ひとつ前の日記の一部、言葉の選び方がことのほか悪かったみたいで、同じポイントで4人の方から拍手コメントやメールをいただきました。
どこかというと・・・この部分です。

というのは、今まで好きだと思っていた音楽が急に好みに合わないと感じたり、急にひねくれた目でしか見れなくなったりするような現象が、一時的?あるいは長期的に?どうかすると絶望的なレベルで?!起こる場合もあって、それは決して歌い手のせいじゃないのはもちろん、聴き手ご本人のせいでもなく、ある意味タイミングが悪かった。それもまた運命?残念!!・・・とでも言うべき話だと思うけど・・・


ひとりのアーチストが「届けたい」と願って投げたものをまっすぐに受け止められるってしあわせなことだし、それが自分の心にもいい変化をもたらしてくれたり、まわりの人にも分けてあげたくなるくらいのポジティブな影響力を持つなんて、とっても素敵なことだと思うのです。

ここです。
本題はあくまでも調性についてのお話だったのですが、そこよりもわたしが付け足したここに反応された方がいらっしゃいました。
そしてみなさん一様に「わたしのことだと思いました。」とおっしゃってました。
いえいえ、断じて違います。誰かのことではありません。
『いろいろなことをひねくれた気持ちでしか捉えられなくなっていた』のは『昨年の後半のわたし』で、このことは別に秘密でもなんでもなくて、身近な友人たちの何人かは全然普通に知っている話なのです。
今となっては「なぜあの時、あんなにひねくれてたかね?」と笑い話になるような類のものですが、その時の自分の中ではそこそこ深刻でした(笑)
今は抜けちゃったからこそ、全然くったくもなく、気恥かしさもあって人ごとみたいに書いたわけですが、わたしが最低ラインのテンションの頃、この文章を読んだらどうだったでしょう。
ちゃんとわたしに正面から反応をくださった方が4人いるとしたら、そのうしろに、言えないけれども実は自分も傷ついたという人が10倍くらいはいるんじゃないか?と思ったりもしたので、思いきって日記にしました。
現在のカバ祭りムードに乗りきれない、素直に楽しめないと思ってらっしゃる方のことを責める文章のつもりはまったくなかったし、そういう方を「不幸せな人」だと決め付けたつもりもなかったです。
あくまでも前の日記の元となったメール、Sさん自分自身の気持ちのありようを美しいなと素直に感じたこと、わたくしレインが、ひねくれた時期を経ての今で、袋小路から抜けてまっすぐに見れるようになったことで、元々あったしあわせの感度がさらに上がったと感じ、それはすごくしあわせなことなんだなあと実感したということ・・・それを書きたかっただけでした。
いろんな意味で言葉足らずで、本当に失礼しました。
ふぇるまーたはあくまで「日記」で、大きく分けるとブログかもしれないけど、決して評論を書いている場所ではないので、言及している「気持ち」はそう書いてなくてもほぼ自分の気持ちです。
なんとなく主語を飛ばしちゃうのはわたしの悪い癖で、言及した内容があたかも誰かをイメージして書いたかのように思われたのだとしたら・・・悲しい思いをさせてしまいました。
ほんとうにごめんなさい。
心からのおわびと共に、今後はちゃんと主語を入れた文章を書くように心がけたいと思います。
どうぞどんな文章も「ご自分のことかも?」だなんて思わないでくださいね。
どうも年と共に人の気持ちに鈍感になっているようで、最近すごくそのことを実感しています。
もっと年を取ったらどうなっちゃうんだろうと心配です(笑)
そもそもわたしの日頃の日記での言動が最近荒れてるのかしら?といろいろ考えるきっかけをいただきました。
これから書こうとしているエントリーの中にもそんな失敗談が含まれていて、なんだか自分で自分がイヤになった絶妙のタイミングで、土曜日安全地帯のライブに行きました。
このライブでは音楽的な素晴らしさもさることながら、自分の中の「恥ずかしい自分」から逃げずに向き合うことの美しさを散々に見せつけられて帰ってきました。
あまりに心を動かされたので、すぐに言葉が出てこなくて、自分の中でそっと抱きしめているところです(笑)
その心の変化についても触れたいし、ここで黙り込んでしまうと、なんとなくふぇるまーたそのものの危機のような気もしたので、玉置さんに習ってわたしも前を向こう。
なにかと未熟ですが、今後共よろしくお願いします。