ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

  石舞台MCに想ったこと

 石舞台ライブに一緒に参加していた、お友達のbonyarihitsujiさんが、とても素敵な思慮深いエントリーをされていて、とても心を動かされました。
彼女の素敵な文章はぼんやりひつじ暦の5月14日の記事へ飛んでぜひぜひお読みいただければと思います。
このエントリーの中で、彼女はつよしさんのMCを実に上手に要約して、伝えていらっしゃいます。
最近ちょっとおかしいぞと思っていること、なんとかしなきゃと思っていることはたくさんありますが、それを変えて行くのはひとりひとりから。誰かが変えてくれるのをいつまで待っていたってダメ。
まずは自分が変わらなければ、日本は変われない。自分が変わっていけば、ひいては日本全体が変わっていくはずだ。…というMCの内容はわたしがこのところずっと思っていたことでもあって、とても共感しました。
 日本人はオバマさんが「チェンジ!」と言って絶賛されたから、なんだか政権が変われば同じように変わるはずと勘違いしちゃったのでは?とつよしさん。そうかもそうかも!そんなに簡単なことじゃないよね!とちょっと苦笑いしながら思いました。

 さて、bonyarihitujiさんの書かれた文章の中で、特に心を動かされた一文はというと

そのメッセージには、タイと日本を行ったりきたりしている私が感じていること、思うこととだぶる部分も多々あり。
 日本にいてもどこにいても、自分を持って、心のある生活をしたいな、あまりに価値観が複雑化しすぎて何を信じていいのか、どう生きていくのか道筋がみつけにくいし、判断しにくくなっているけれど、そのなかで自分を見失わずに、自分を信じて楽しく生きていこうじゃないのと改めて思わせてくれました。
昔の人が大切にしてきたことを、現代の生活と照らし合わせながら、失われつつある大事な価値観は残しつつも、自分のスタイルで前に進んで行きたい。
そういう人たちが日本に増えたら、日本も変わるかな…、いや、変わるはず。

というところでした。

わたしにはふたつの心のふるさとがあって、ひとつは5歳から中3の二学期までを過ごした山口県の片田舎と、1995年から4年間を過ごしたマレーシアのクアラルンプールです。
今回、歴史ある場所でのライブを経験したことで、あらためて日本という国と日本人が持っている、古来からの美しいところや大切にすべき心があることを思い出しました。
忘れかけていた片田舎での何もない暮らしの素敵さとか多分に想像の余地がある部分とか、海外で外国人から言われた「日本って、日本人って本当に素敵ね」と言う部分がいかにたくさんあったかとか、それらをわたしたち日本人が忘れてしまってどうする!と思ったことなど。

古都でわたしがいろいろと思ったことはもうちょっと文章として噛み砕いてからちゃんと書きたかったのですが、どうにもまとめきれません。
なので、奈良をきっかけに日本や日本人についていろいろと考えたこと、政治について考えた混沌とした内容を、まだ中途半端ではありますが、メモ風に残しておこうと思いました。

ほぼ自分用のメモだし読みにくいことはなはだしいので、続きからは隠します。
直接ライブとは関係がない個人的に思っていることを書いた話ばかりですので、ご興味がある方だけどうぞ。

☆今回のライブを見て、日本人が持っている美徳で、失ってはならないことがあったなあと思い出して、羅列してみた内容
・工夫上手
・まじめで勤勉。
・サービス業の世界に出しても恥ずかしくないきめこまやかなサービス
・誰もがちゃんと挨拶ができ、誰に言われなくても駅のホームやトイレでちゃんと整列して待つことができる文化
・手先が器用で、細やかな作業が上手
・海外のよいものをうまく日本流にアレンジしたり、取り入れる力
・謙虚さ
・風流・風雅を好み、完全なものを求めるのではなくて、むしろ欠けていることを尊ぶ文化
etc.etc.

☆最近の政治について思うこと
つよしさんは、「ひとりが変わらなければ何もかわらない。まずは自分が変わればだんだんに日本が変わっていく。ひとごとではない。」と言っていたのですが、そんなMCの中でわたしが強く共感したのは「大人になればいじめていいのか」と言ったひとことで、わたしだけかもしれないですが、最近テレビのニュースを見ていると、気分が悪くなってしかたないのです。

たとえば、現在政治の世界では、とてもむずかしい局面に立たされていることがたくさんあるのに、ニュース番組ではどこか「他人ごと」な切り口です。
こんなことになったのは誰が悪いのか?全然ビジョンが出てきませんね〜。支持率がまた落ちました!5月いっぱいで本当に決断できるのでしょうか?と言っているキャスターの顔が途方もなく他人ごとで、底意地が悪い期待顔に見えたり。
まるで自国のことを報道しているように見えず、本当に危機感を感じているのかな?と疑問に思ったり。
国会では大切なことが議論されずに、思い通りに議論が運ばないとすぐに議論を放棄したり、すぐに紛糾したり。
どこの政党が上に立っても、名前と役割が入れ替わっただけ!?と思わされたり。
時間だけが過ぎてゆき、議論がなされぬままに採決だけが行わることを恐怖したり。

また、誰が押したの誰のせいで転んだとか、わたしのせいじゃないとか、仮病だとか…
まるで子供の喧嘩のような話を、不必要に掘り下げてニュース番組のかなりの時間を割いてみたり。

海外に出ると、たとえば事故を起こした場合、日本人みたいに「とりあえずあやまる」は後で不利になるから絶対に言っちゃダメ!というのを何度も聞かされます。
考えてみると日本人のとってもいいところのひとつに「謙虚」というのがあって、とりあえず自分のせいじゃないかもしれないけれども、ぶつかったら先に謝る。両方が「わたしが悪かったです。すみません。と謝り合う」・・というのがあった気がするのですが、どんどんそういう素敵なところがなくなって、とりあえず先制攻撃で、怖い相手を非難してしまおうという風潮ができてきた気がします。

また、ずいぶん前に「自己責任」という言葉があちこちで使われましたが、そもそも「自己責任」というのは人が人に対して言う言葉じゃなくて、自分が覚悟を決めて出て行くときに「自己責任で行かせていただきます」という風に使うものではなかったのかなと思います。
少なくとも人のことを「自己責任でやりなさい。」と突き放す時に使う言葉ではなかったはず。

また、テレビをつければ誰が悪い、誰は頼りない、誰もダメだ。支持率は下がる一方だ。どの党もダメ。そんなことばかりが聞かされ、街頭インタビューでも「もうダメじゃないっすか?」「誰がやったってしょせんダメだね!」「ムリムリ〜だってバカばっかり〜」なんて。

そんなテレビを見つけている子どもたちは、詳しい事情も知らずにオトナの真似をして、現在国を一生懸命動かそうとしている政治家や役人を、誰かれ問わずはなからバカにしているし、真剣に話をしようとしている人を「暑苦しい」などと揶揄したり。
ゲラゲラ笑って揶揄しつつ、子どもたちは「信用できるオトナは結局どこにもいないんじゃないか」ときっと心もとなく思っているに違いないと思うのです。
しょせん人なんてそんなもん。オトナなんて誰も信じられない。何言ってるの?そんな中二病みたいなこと。もっとオトナになれよ。

誰かを信じたいのに信じることができないさびしい気持ち、誰にも頼れないという怖さ。いつ自分も陥れられるのか不安で怖い気持ち。
こういうことが積み重なると、心が病気になるのもムリないと思ったり。

日本という国はどうしてこうなっちゃったんだろう?と思うことばかりです。
何より信用できる大人がいません。
誰かが何かを失敗したり、失言をしたりすると、ここぞとばかりに叩いて叩いて叩ききまくります。一億総叩きな風にすら見えます。

どこがいけないか…ということにはたっぷり時間を割くのに、どうすればいいのかをちゃんと考えて自分の意見をちゃんと述べられる人はほとんどいません。

きのうおもいきりヒーロー、ヒロインとして持ち上げられていた人が、今日は叩きのめされて悪者扱いです。
社会は英雄と極悪人の両方が出てくることを、わくわくしながら待っているようにすら見えます。


そう思うならまず、自分が信じるに足る大人にならなければ。
まずはわが子から、生徒から…「いい人」と思われなくてもいいから、この人は信用がおける…と思ってもらえるように。


自分ひとりでも違うと思ったことは「違う」と言わなきゃならなこともある。
からかわれたり笑われたりしても、真面目なことは恥ずかしいことじゃないと思う。やるときはやらなければ。
うざいとか、KYだとか言われることを恐れすぎてはいないのか。


マスコミに踊らされず、さまざまな本当とされていることを本当と思わない強さと自分を信じる勇気を。

次から次へ新しい刺激を求めるだけじゃなくて、自分で楽しみを見出そう。
 音楽に関してもそうで、手に入れたソフトをとことん楽しもうと思いました。一度だけ聞いてポイではもったいないことはなはだしいです。
情報過多に踊らされて、片っぱしから手をだして、片っぱしから忘却のかなた…というようなことはやめようと思います。
その昔、擦り切れるまで聞いたレコードは今でも大切に取ってあって、完ぺきに歌えたりします。
最近そこまで聞きこんだCDがあったかな?
情報過多に踊らされず、ひとつひとつの好きなソフトをとことん楽しもうと思います。
次を次をと求めずに、たとえば友達と一緒にふたたびDVDを見て楽しむとか、あらためて思い出し萌えトークをするとか、今なりの遊び方はいろいろあるなあと前向きにとらえてみよう。