ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 きっぷをなくして(ネタバレしてます。)

キップをなくして

キップをなくして

 この間のバッテリーに続き、これも児童文学というくくりの中の本だと思います。大人も子どもも、ものすごくわくわくして読める本だし、そして生と死を考える「しん」とする場面もあります。
 この本に出会ったとき、似ている設定として思い出したのは、小さい頃に読んだ「水の子」というお話で、キングスレイという人が作った物語です。「水の子」では、煙突掃除のトムが水の精になる話ですが、この「きっぷをなくして」は、イタルという小学生の主人公は、切符をなくして「駅の子」になります。
 JRの東京駅の片隅に、実は彼のような「駅の子」たちがこっそりと住んでいるという設定です。広い広い東京駅には、そんな場所があっても不思議はないなあと思いつつ、だんだん物語りに入りこんでいきます。拉致されて「駅の子」にさせられたという悲惨な話ではないのでご安心を。わたしも「駅の子」になりたいなあと、思わされるようなお話です。かれらの日常にはわくわくさせられっぱなし。文句なく楽しいです。
 彼らは大前提として駅の改札からは一切出られないのですが、駅から線路を通って、別の駅、線路がつながっているところなら、どこにだって行くことができます。おいしいお弁当を食べるためだけに、甲府までだって行けます。キオスクや社員食堂にも出入り自由で、お弁当だってお菓子だってただでもらってくることができるし、普通に買い物するように、地図や文具をもらってくることだってできるのです。遺失物の中から着るものをもらったり、彼らの存在をこっそり知る何人かの駅員さんと親しく会話したり、お互いの仕事をねぎらいあったりもするのです。
 そして「駅を使う子どもたちの通学の安全を守る」という大切なお仕事、使命を持ち、お仕事遂行、子どもたちの安全確保のためなら、時間を止めることだってできてしまうのです。
 鉄道や路線の記述や駅の描写など、鉄道マニアの子どもたちなら、とてもわくわくする話がたくさん載っているし、鉄道にかかわる仕事に誇りを持ち、お仕事に精出した人たちの描写には、感動させられます。
 冒険ファンタジーとしてだけ読んでも、かなり面白い展開になっていますが、大人の観点で読むと、別の側面も見えてきます。「駅の子」になった、性別も学年も様々な子どもたちが、実に自立的にいろいろなことを学びとって行くのです。そこでは大人はほんの少し手を貸すだけ。鉄道の中で見た様々なことを教材に自主的にみんなで勉強してゆくさま、いくらでもただでもらえるガムを、食べたいだけ食べていた子が、ある日自分から「それじゃいけない」と気づいてやめるというエピソード。大きい子は自然に小さい子のお世話をし、勉強を見てあげるし、どんな小さい子もお仕事はきちんとします。ちょっと変わった子、大人から見ると扱いずらい子も、きちんと子どもたちの間で認められていて、正直に困ったりしながらも、自然につきあって仲間にしていく様も楽しいです。
 わたしは大学の頃、一斉保育をやめて自主保育を始めようという試みや、教科書を一部廃止して牛や馬を育てたり、自主的なテーマで勉強するなかで学力をつけようという時間を持っている学校の先生の勉強会に参加させてもらったりした経験があります。
 この本の中には、その勉強会で話題になったようなこともいくつも入っていて、そういう読み方をすれば、それはそれで違った楽しみ方もできるかもしれません。
 ただ、この物語はそんな理屈は抜きにして、子どもの目線になって、わくわくドキドキを味わいつつ読むのが一番じゃないかと思います。あえて書きませんでしたが、最後の方はとても深遠なテーマも出てきます。でも、その部分もあえて理屈や現実に置き換えず、子どもの気持ちのままに読んだら、とてもとても後味の良い物語として残りました。
 実はこの本は、美容室で読んだ週刊誌の中で紹介されていた小さなコラムから見つけました。その時、あらすじを読んでものすごく惹きつけられたのです。なので、あえてわたしもヘタクソではありますが、あらすじを乗せてみました。ご興味がある方はぜひぜひ、お子さんと一緒に読んでみてください。絶対に面白いです。